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--- ライフログ的な ---

ルーツ

日本史好きなこともあり、ふと自分のルーツが気になることがある。検索しまくりです。
大体の人が偉い人に行き着いちゃうよねえ。そんなはずあるわけないのに・・・。
少数の権力者の下には、たくさんの生活を支える人たちが存在するわけだし。

Wikipediaより】
明治時代以後の名字

明治維新直後、明治3年(1870年)9月19日の平民苗字許可令、明治8年(1875年)2 月13日の平民苗字必称義務令により、国民はみな公的に名字を持つことになった。この間、明治2年7月以降、武家政権より天皇親政に戻ったことから、一時、名字を副次的なものとして、本姓を名乗ることとした時期もあった。しかし公家出身の者はほとんどが藤原姓、武家出身の者はほとんどが源姓など、源平藤橘で84.6%となった。時代にも合わなかったためか、早々に廃止され、明治4年10月12日には姓尸(セイシ)不称令が出され、以後日本人は公的に本姓を名乗ることはなくなった。氏・姓は用語も混乱していたが、この時点で太政官布告上は、いわゆる本姓は「姓」、氏・名字は「苗字」、かばねは「尸」というように分類されたのである。平民苗字必称義務令公布の日にちなんで、2月13日は「名字の日」となっている。

苗字必称令の際には、江戸時代までに付けられた家の名称を名字とする者が多かった。しかし、現代の名字が武家や公家と同じ名字だからといっても必ずしもその子孫とはいえない。名字の多くは、正確な由来を追跡することは困難である。

明治以前の名字は先祖伝来の名を名乗るものとは限らず、地元の有力者に倣って名字を変える者などがおり、血のつながりとは無関係に同じ集落の家の苗字がみな同じということも起こった。中には自分の名字が分からないため、僧侶や名主(庄屋)などに頼んで適当な名字をつけてもらったというような話もある[要出典]。そのほか、自分で名字を創作して名乗ることもあった(たとえば与謝野鉄幹の父礼厳は先祖伝来の細見という名をあえて名乗らず、故郷与謝郡の地名から与謝野という名字を創作した)。

また、中には非常に難読な珍しい名字がある。例として、小鳥遊(たかなし。鷹無し、つまり鷹がいないので小鳥が遊ぶことができるから)、四月朔日(わたぬき。昔は四月一日になると、着物の綿を抜いたことから) など。

父親姓は大分県のとある田舎に大量にいます。日清戦争戦没者碑に同じ名字ばかりです。
「血のつながりとは無関係に同じ集落の家の苗字がみな同じ」に当てはまる可能性が大。
名字だけの由来としては、桓武平氏で紀伊国牟婁郡発祥の氏族らしい。
母親姓は藤原秀郷ルーツの某氏からさらに派生したらしい。関東の氏族らしいんだよね。
下総国の千葉氏も元寇絡みで北九州に勢力伸ばしてるし、九州にいてもおかしくはない。
昔は養子とか普通だったし、血の繋がりが脈々と続いているわけではないだろうけどさ。
伝承される経緯でうそや勘違いもあっただろうけど、名前は大切にしたいものです。
まぁ普通に下っ端血脈だろうけど。